日本の当たり前は当たり前じゃない。

先日の高橋衛さんのインタビューの時にも「日本の当たり前は当たり前じゃない」というお話がりました。

 

日本人のお辞儀や言葉づかいなど色々外国人から「不思議」と思われていることはちょくちょくTVや雑誌でも取り上げられていますよね?

そういえば「外国人が日本に居過ぎてしまったと思う時」という記事で思わず笑ってしまいました。

 

ちなみにちょっとだけ紹介すると…

  • 外国人が電車に乗っているのを見て、「わおっ、ガイジンがいるっ」と思うとき
  • 電話中にお辞儀している自分に気付くとき
  • どんな小さな行為でも「がんばる」とか言い出すとき
  • 片手チョップスタイルと連続お辞儀が混雑を通り抜ける手段だと思い始めるとき

 

ふふふ。面白いですね!サイトには他にもたくさんネタがあるので、読んでみてもいいかもしれません!

 

さて、前置きが長くなりましたが…

最近読んでいた『いまこの国で大人になるということ』という本で、茂木健一郎さんが

「日本」という国を大切にすることはもちろんだが、その「日本」という国自体がもともとは遇有的な存在であるということを忘れてはならない。

ということを書いていました。

 

日本の伝統といわれるものも、もとを辿れば外からの影響の下に形成されたものであることが多いのである。

そのような(歴史的事実としての)遇有性を忘れて、大文字の「日本」というものを立てて、固定化してしまうと、社会が硬直化してしまう。

何よりも、生命の本質である「常に生き生きと変化し続ける」という現場から遠ざかってしまう。

異質なものと思われるほど、遇有的な「日本」をさらに磨いて良いものにするために不可欠なはずなのである。

「日本」を固定したものと考えてしまうことほど、外国人にとって不愉快で、日本人自身にとっても不本意な事はない。

 

(「大人になっても忘れてはいけないこと」茂木健一郎より)

 

確かに!

 

言われてみれば、日本人の感覚が当たり前でない…とか言う前に、

日本と言う国自体が、別に固定された当たり前のものではないんですね!!!

 

当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、

なかなかに目からうろこな発見でした!!

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